東京の里山・横沢入の開発計画中止
〜市民参加の里山管理をめざして〜
※ 以下の文章は
文全協ニュース 第154号 (2001.04.10) (TOP)に掲載された
伊奈石の会事務局長、内山孝男さんの 同意を得て転載させて頂きました。
東京都あきる野市横沢の里山・横沢入(よこさわいり)は、1989年以来の住宅開発計画を中止して「自然とのふれあいゾーン」として保全されることになった。宅地造成による破壊からは当面逃れることになったが、今後の保全管理や利用のあり方をめぐって問題は山積しており、長い第1ラウンドが今終わったに過ぎないと認識している。これまでの経過を概観し、今後の課題をまとめてみたい。
東京都最大の里山・横沢入は、東京都多摩地区の中心立川から西へ走るJR五日市線の武蔵増戸駅と終点武蔵五日市駅のほぼ中間の北側に位置する。幅の広い谷戸を雑木山(五日市丘陵)が囲み、東南の入口部分から北西の分水嶺まで約1q、全体で65ヘクタールある。有史以来、排水を出す人工物が上流・尾根上に造られなかったために、汚れのない湧水が年間を通して谷戸を潤し、多様な生物を育んでいる。休日のたびに自然愛好家のグループが観察会に訪れ、春はセリ摘み、初夏はホタル見物、秋には紅葉狩りに、都心から1時間足らずで自然に触れることのできる「緑のオアシス」として、たくさんの人に親しまれている。
中央の谷戸と五つの支谷は昭和40年代までは谷の奥まで棚田が営まれていたが、地形上の制約から大型機械を導入できない効率の悪さや後継者難から、徐々に放棄されて休耕田となり、もっとも早くに水田をやめたところにはヤナギが茂っている。最後までやっていた農家も2年前から米作りをやめ、今、横沢入には一筆の田圃もない。
こうした営農者の里山離れと、当時のバブル景気、首都圏中央連絡道の建設などを背景にして、1989年、当時の五日市町が長期総合計画の中で、横沢入を高級住宅地として開発すべき地域と位置付け、事業者としてJR東日本が参入し用地買収が始まった。当初の計画は総事業費700億円、約900戸に3000人という規模で、平成6年には着工し、8年には一部分譲を開始する予定であった。横沢入開発は、地元自治体にとっては地域活性化と税収増、さらには沿線住民の悲願である五日市線複線化実現の切り札と位置付けられた。この計画は、横沢入をフィールドにしてきた自然愛好家や地域住民の一部に危機感を抱かせ、いくつかの自然保護団体が生まれる契機となった。私が所属する伊奈石の会もそんな横沢入問題を機縁にする会の一つである。
横沢入の山中には南北朝から江戸後期と見られる石切場の遺構が広範囲に存在している。伊奈石という中世には板碑や五輪塔の材料として、近世には主に石臼に加工されて東京多摩地域を中心に近県に流通された石材の生産遺跡である。伊奈石研究会が刊行した調査報告書や、その後の当会の大衆的な活動の積み重ねによって、伊奈石石切場遺跡は地域の財産として住民に認識されるようになった。
バブルの崩壊後、急速に丘陵部開発の見直し機運が高まる中で、横沢入開発も一筋縄ではいかなくなった。JR東日本は、地元反対派との合意形成を目指して、94年に「自然環境調査検討委員会」を、翌95年には「土地利用検討委員会」を設置。事業者、学識経験者の他に、地元自然保護団体も同一テーブルにつき、前者では計画地における自然環境の現況を把握して土地利用案の検討を行い、後者では前委員会で開発・保全に二分して提案された土地利用案を一本化する努力が行われた。これらの委員会は、現行の事業者アセスの欠陥を補い、計画段階で問題点を発見・克服して合意形成を目指そうとする「計画アセスメント」の考え方を先取りするもので、事業者であるJR東日本の努力は高く評価されるべきである。しかし、すでに事業者が用地買収に高額をつぎ込んでいる状況下では、保全という選択肢はあり得ず、開発を前提に手法等の検討を行う、という限界性があった。
こうして、昨年9月26日、あきる野市は市議会全員協議会の場で、横沢入住宅開発計画の中止を発表した。中止に至った直接の原因はバブルの崩壊で、事業採算性の確保が難しくなったことだが、そもそも旧五日市町の立地選定が間違っていたと言わざるを得ない。何しろ、当初の環境調査では後に間題となるオオタカやトウキョウサンショウウオ、伊奈石石切場遺跡の存在すら指摘されてはいないのだから。
あきる野市の中止決定を受けて、今後の間題が大きく立ち現れてきている。住宅開発ができない以上、地権者であるJR東日本にとって横沢入はお荷物でしかない。社内から他の業者に転売せよという声が出てくることは十分考えられる。東京都は昨年、自然保護条例を改正して「里山保全地域」という新しい保全地域指定枠を作ったが、当面、横沢入65ヘクタールを公有地化する財政の裏付けはなさそうである。あきる野市は、自ら「自然とのふれあいゾーン」と位置付けた以上、将来の公有地化に向けた条件整備の先頭に立たなければならない。各自然保護団体には、営農者に代わる市民参加の里山管理の組織作りが要請されている。
こうした中、昨年12月24日に「横沢入里山管理市民協議会」の発足準備会が、これまで横沢入問題に関わってきた各自然保護団体の代表を集めて行われた。この会には地権者であるJR東日本も同席し、各団体が保全整備作業を進めていく上でのルール作りが話し合われた。当面、責任を持って管理に関わっていく構成団体として、伊奈石の会を含む4団体が確認され、今後これらの団体を通して里山管理への市民参加が図られていくことになる。今年に入って、月1回のペ一スで行われている協議会では、各団体の作業計画が突き合わされ、それらの計画のうち地権者側に早急に要請されている災害・安全対策に合致する部分から順に実施に移されている。
保全のための資金は今のところ各団体が獲得する助成金で賄われており、今後安定した財源を確保するための基金の創設が必要だし、イベントのたびごとに参加する流動的なボランティア層を持続的に組み込む組織体制も確立しなければならない。また、保全手法をめぐっては、里山景観の復元を含めた大幅な現状の改変が、水田耕作を放棄して長期間経過した現在の貴重種の生息には、かえって悪影響になるという難しい問題もある。
課題は山積しているが、とにかく第2ラウンドの幕は開いた。当会としては、石切場遺跡の整備と将来の有効活用のために、積極的に役割を果たしていきたいと考えている。
(伊奈石の会事務局長、内山孝男)
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