「今なぜ里山が必要なのか??」
里山の価値について考えてみました。
1) 多様な生物の存在する環境資源としての価値
里山には、自然環境の多様性に応じた多種多様な生物が生息します。この中には、環境庁のレッドデータブック等に記載される希少種も多く含まれます。これらの種の多くは里山環境のみを種としての生息域としているため里山の消失は種の絶滅につながる問題と考えられます。種の保存法の制定等、生命倫理がクローズアップされている今、その価値は大きなものといえるのではないでしょうか。
2) 文化資源としての価値
里山は、数百年にわたる人間生活の中から形作られ、その形の中で人々は日々生活してきました。日本の文化と里山は、深く結びついた重要な存在といえるでしょう。現代でも多くの人々は、日本的な風景、ふるさとを思い描くとき里山を思い、里山を見て心を和ます(景観、心のよりどころとしての価値)。また、ある人は、都市の中での日常生活の合間に里山で遊び・ふれあい・楽しみ、日常生活に帰っていく(レクレーションの場としての価値)。子供たちは、里山を見て日本古来からの営みを知り、自然とのふれあいの中から観察力・想像力を培っていく(教育教材としての価値)里山は、まさに文化資源の宝庫といえるのではないでしょうか。
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3) 生活資源としての価値
里山は、生活資源供給の場として作られ維持されてきました。燃料としての薪炭を供給してきた雑木林、日々の食料・対価対象としての米や野菜を今日供する田畑、そしてタラやセリ等の山菜、キノコやヤマノイモ等の山の幸、ゲンノショウコやセンブリ等の薬草まで里山は、人々の生活に必要なさまざまなものを供給してきました。
しかし、化石燃料への転換等日本人の生活様式の変化とともにその価値を失いつつあります。その一方生活様式の変化に伴う様々な問題(大気汚染・土壌汚染等)が大きな社会問題になっている現代にあっては、過去の里山からの供給資源を見直すとともに、きれいな水や大気といった広義の供給価値も考えてみる必要があるのではないでしょうか。