12月7日(日)、歴史探訪会「伊奈石石切場遺跡と大悲願寺」を開催した(伊奈石の会主催 あきる野市教育委員会後援)。
一週前に予定していたのだが、台風で延期し、この日になったのである。この日は快晴で温かかった。
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見学会は、まず冨田の入りの林道を奥へ進む。
この道は異様に道幅が広いが、昭和戦前に伊奈石のズリ石を搬出して鉄道の敷石などに利用した。その際に、トラックを入れるため地元の人たちがツルハシで拡幅したのである。 |
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冨田の入り奥からズリ斜面をトラパースし、東尾根へ上がる。ここはもう巨大な掘り跡=坑の中である。 |
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「石山池」南側テラス。「テラス」は石切場現地で石材を粗加工するための人工的平地。
ハンドマイクで解説するのは山梨学院大学の十菱先生。 |
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足下には矢穴加工跡の残る石片が転がる。
「矢」は石を割り採るための道具で鉄製のクサビ。「矢穴」は矢を入れるためにノミで彫られた穴。
矢穴加工跡があることは、そこで石切りが行われていたことの確かな証拠である。 |
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巨大な竪坑の底には水が溜まっており「石山池」と呼ばれている。
江戸中期延享年間に描かれた絵図にもこの池は描かれており、当時すでに大量に石が掘られていたことがわかる。
池の脇で解説する十菱先生。横の岩盤には矢穴がズラッと並んでいる。 |
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石山池北側テラスには「山神社」と彫られた石碑が建つ。
昔の石工たちの守り神。それがなぜか大きく傾いていた。不吉な前兆だろうか。思い浮かぶのは自衛隊のイラク派兵だが…。
傾いた石碑を直す十菱先生と小林さん。 |
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石切道を降り、昼食を食べて、午後は戦争遺跡の見学。
これは戦時中に千葉県佐倉の陸軍の連帯がやってきて築いた横穴式地下壕の跡。崩壊して壕の入口が塞がれつつある。崩壊土の上は急なスロープとなり、ロープをつかわないと登れない。 |
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大砲などの物資を運んだ「牽引車」の斜体の外枠(シャーシ)を転用して橋を架けたもので「戦車橋」と呼ばれてきた。
風化が進行している。手当てして大事に保存したいものだ。 |
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横沢入を出て大悲願寺へ向かう途中、木堂の地蔵様(伊奈石製)を見る。石仏趣味の佐野さんは熱心である。
ちなみにこの前の橋は「信光院橋」と言う。 |
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大悲願寺長屋門前の石橋。悲願寺に残る古文書に、信光院橋架け替えの際、その一部を転用してここに橋を架けたことが書かれている。工事の指揮をしたのは信州石工一之丞。
伊奈石独特のタマネギ状風化が見られる。 |
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この後はご住職のありがたいお話しをうかがって散会した。
なお、石切場遺跡については『伊奈石の採石・加工と多摩川流域の流通についての研究』(伊奈石研究会刊2000円)が、戦争遺跡については伊奈石の会会誌第四号別冊『横沢入の戦争遺跡調査報告書』(500円)が、大悲願寺については同会誌第二号に石井道郎先生の「大悲願寺と五日市の中世」がある。
購入希望の方は内山uchimaya@f2.dion.ne.jpまで連絡下さい。 |
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